ぼくたちは会社にいのちを預けたのか
さんよしです。
今回は時事問題について思ったことを。
厚生省による強制捜査という2016年の一大社会問題にまで拡大している
電通の新入社員自殺事件ですが、
被害者の母親が会見で「経営者は大切な人の命を預かっているという責任感を持ち、本気で改革に取り組んでほしい」と発言しました。
いや、預けてねぇよ!
これ、最初に聞いたときは笑いながら否定しました。
ぼくたちが会社と結ぶのは労働契約であって、奴隷契約ではないです。
経営者だってそう考えているはずで、知らないうちにひとの一番大事なものを押し付けられてびっくりしていることでしょう。
経営者が預かっているのは投資家の金です。
それに関しては経営者は真剣です。
ですが、勝手に押し付けたものを大事にしろ!なんてことを
涙ぐみながら訴えられてもはっきりいって滑稽だとしか思えませんでした。
実際は預けてる!?
しかし、よくよく考えてみるとこの母親の訴えは
案外ほんとうのことをいっています。
毎日同じ時間に起き、同じ時間に出社する。
一日中働き、残業までこなす。
ひとによっては残業代が出ないということもあるでしょう。
いやな上司の説教に耐え、居酒屋で愚痴をこぼす。
平日は週末を楽しみにし、平日は次の平日を楽しみにする。
会社に勤めるというのはじぶんの人生の一定の時間と精神の一部を預けることでもあるのです。
さらに、お金に注目すると会社員という生き方は
会社にいのちを完全に預ける生き方です。
会社員は会社からもらう給料によって日々暮らしています。
最近はサラリーマンをしつつ副業をして稼いでいるひともいますが、
大多数のサラリーマンはもし会社から給料がもらえなくなると暮らせなくなります。
大金持ちではないぼくみたいなひとはお金を稼ぎ続けなければ生きていけず、
これはもう給料のために会社にいのちを預けているようなものです。
被害者の自殺という深刻な状況になったため
会社にいのちを預けることが悪いように思えます。
しかし、今までの日本では会社にいのちを預けるのがふつうでした。
会社にいのちを預けて給料をもらい続け、
車を買い、結婚して家を買い、子供にいい教育を受けさせる。
会社にいのちを預けて死のリスクを背負うことで人生を築いていきました。
さて、どうしようか
21世紀のいま、いままで通り会社にいのちを預けるのか、
それとも会社から人生を取り戻すのか、
しっかりと自分の人生に向きあってじぶんのいのちを
どう取り扱うのか考えるべきです。
全員が会社からいのちを取り戻す必要はないでしょうが、現時点で限界まで働いているひとはすぐに行動に移したほうがいいです。
預けるなら大切に扱ってくれる会社にしましょう。