わきみちのさりげなさ

新卒ゆとりが会社を辞めるタイミングをうかがいつつ妄想をこじらせるブログ

うまくいかなかった大学生活

今日は昔話をします。

 

ほんの少しむかしの4月1日、さんよしは大学生になりました。

 

ぼくは勉強を頑張ったので第一志望の大学に入ることができました。

それなりに名の通ったところです。

ぼくが合格したことを知って親は大喜びし、

友だちはいい大学に入ったぼくを尊敬しました。

そしてなにより、ぼく自身が大学受験を成功させたことで自身に満ちあふれ、

胸をはって入学式に出ました。

 

しかし4年後、ぼくは卒業式から逃げました。

なにも成し遂げることなく、なにものにもなれなかった自分を恥じて

卒業式に出なかったのです。

 

 

誰もいない国会に向かって抗議運動

大学生になったぼくのまったく新しい生活が始まりました。

 

あわただしい新生活のなか、ぼくは熱中できるものを見つけました。

 

原発運動です。

 

2011年に東日本大震災があり、福島第一原発で事故が起こりました。

そのころ高校生だったぼくは原発事故による被害の大きさ、

そして被害の大きさにもかかわらず原発を再稼働させようとする政治家を

諸悪の根源だと思っていました(いまはそんなこと思ってません)。

 

ぼくは反原発運動の先輩とたびたび会合を開き、

原発の問題点、事故が起きた現地の悲惨な状況、

日本にはびこる悪について議論していました。

 

さらにただ考えるだけでなく、実際の行動を起こしました。

国会前に行き、シュプレヒコールを上げて原発再稼働に反対しました。

当時はこの問題をきっかけにしてデモを行うということが一種の社会現象になっていました。

 

そして夏休み、ぼくはいままで一番大きいデモに参加しました。

明るいうちに公園に集まって官公庁街を反原発を訴えながら練り歩き、

夜は国会前に集結して原発再稼働に対して反対の声を上げるというものです。

 

このデモ、はっきりいって体力的にキツイものでした。

真夏の東京を数時間かけて声を出しながら行進するのは苦行のようでした。

ですが自分の信じる正義のため、原発で危機にさらされているひとたちのため

滝のように汗を流しながら東京を歩きぬきました。

 

国会前にたどり着いたときにはもう疲れ果てていました。

しかしじぶんの思い、原発をなくして日本をあるべき姿にしようという気持ちがぼくを奮い立たせます。

デモの参加者も続々と集まり、熱気があたりに立ち込めます。

デモの運営者がなにかいってますが関係ありません。

ぼくたちは駆け出し、道路に飛び出しました。

 

「再稼働反対!」「再稼働反対!」

シュプレヒコール!」「オーッ!」

シュプレヒコール!」「オーッ!」

原発再稼働、反対!」

 

興奮は最高潮に達し、ひとびとは声をからして自分の思いを叫んでいます。

じぶんの主張を書いたプラカードを掲げ、こぶしを振り上げています。

 

しかしぼくだけはその熱の中で取り残されていました。

 

だって国会はその時閉会中で、中に誰もいないんですよ。

 

ぼくはいまのままじゃだめで、いまの悪い状態を変えるために国会の前に来てる。

政治家にぼくたちの主張を届けて政治家が受け入れてくれれば社会がよくなる。

そう思って暑い中アスファルトの上を歩き、1日を使ってデモに参加したのです。

 

それなのにぼくたちは勝手に盛り上がっているだけで、実際の政治に影響を与えていないんじゃないか。

そう思った瞬間じぶんがしてることがばからしくなり、こんな運動もうやめようと思いました。

 

あとに残ったのは疲労、そしてなくしたものは時間と夢中になれるものでした。

 

迷走

原発運動から冷めたぼくにはなにもしたいことがありませんでした。

いま思うと反原発運動の理念に依存していたのです。

 

2,3か月はのんびりと大学生活を楽しんでいましたが、

長期休みでなにもすることなく家でだらだらしていると自分の将来が不安になってきました。

 

将来どうなるんだろう

会社勤めは嫌だ

なにかすごいことをしたい

 

そう思ったぼくはいろいろなものに手を出しました。

 

  • 官僚
  • 学業
  • ゼミ
  • 海外大学院

 

勉強が得意なほうだったので勉強をして身を立てることを望んでいましたね。

しかしほかよりも勉強ができていたのは高校のころまでで、同レベルのひとが集まっている大学では平凡な成績しか出すことができませんでした。

 

ちなみに悟りを開いたのはこのころです。

じぶんになにもなかったので真理だけが見えたのでしょう。

 

sanyosh.hatenablog.com

 

これらの取り組みがうまくいかなかったのはひとからすごいと思われたくてやっていたからです。

じぶんがやってて楽しいとか、ひとの役に立つからとかそんなことは一切考えませんでした。

 

気にしていたのは他人の目線、他人にすごいと思われたい、見えと虚栄心だけで動いていました

 

他人からすごいと思われる一番手っ取り早い方法はなにか難しいこと、それこそ公務員試験や大学院留学を目指して頑張っている姿をほかの人に見せることです。

実際に達成できるかではなく、それに取り組んでいる姿をアピールするのです。

これはいわゆる意識高い系そのものですね。

 

そんなこんなしているうちに時は過ぎ、じぶんの将来を真剣に、大真面目に考えなければならないときが来ました。

 

そう、就職活動です。

 

嘘で塗り固められた就活

すぱっといいますが、ぼくは嘘で就活を乗り越えました。

1を100に盛るとかじゃなくて0を100です。

 

ぼくはデモ活動、意識高い系活動をしていた一方でふつうの大学生がやるサークルやアルバイトをほとんどしていませんでした。

就活に臨むぼくの状況はノンゼミバイサー(ゼミ・バイト・サークルやってない)でした。

 

はっきり言って絶望的です。内定獲得なんて到底無理です。

このことを最初から深く自覚していたぼくは当然のようにでっちあげをすることにしました。

後ろめたさなんてありません。

そんなの感じていたら路頭に迷ってしまうと考えていました。

 

サークルは1年で辞め、そのあとはバイトに打ち込んでいたことにしました。

就活で話すことなんてだいたい型にはまったことなので一度ファンタジーを作り上げてしまえばそれをアレンジするだけで志望動機や学生時代にやってきたことに応用できます。

 

開き直りと嘘の自己アピール、それと最低限の学歴をひっさげてぼくははったりをかましまくりました。

 

さも将来有望そうな学生であるようにふるまいながら面接官に気に入られるよう努力しました。

嘘のマシンガントークをかましつつ、ぼんやりと向いてないなとわかっていながら「営業やります!」とかいってました。

 

 

sanyosh.hatenablog.com

 

そんなこんなしているうちにぽろっと内定をもらってしまい、就活を終えました。

なんの感慨もなく、内定は空から降ってきたようでした。

 

卒業式、逃げ出した先に

 そんなこんなでぼくは卒業式の日を迎えました。

スーツを着て、入学式の会場と同じ、大学の行動に向かいます。

 

4年前、初めてそこに行ったときはあらゆる可能性がありました。

 

サークルやゼミで活躍、運命のひとに出会う、起業してビジネスを始める

 

入学式のころの自分には無自覚ながらもたくさんの将来の姿がありました。

しかし、卒業式のときにはなにも手にしていませんでした。

 

 夢が幻想だと知り、さ迷い歩いた結果手に入れたのは正社員になるチケットでした。

 

なるべくしてなったのでしょうか。

 

一方で周りを見渡してみると、4年間を走り切った同級生たちの姿が見えます。

 彼らを見たとき、ぼくの足は止まりました。

 

 みじめな自分を見られたくない。

 

そう思ったとき、僕は講堂に背を向け立ち去りました。

怖くなって、恐ろしくなって逃げたのです。

 

入学式のときはぼくと彼らは同じところにいました。

受験を乗り切り、一生に一度しかない大学生活のスタートさせました。

 

ぼくはふらふらと迷子になりましたが、

同級生たちはじぶんのやりたいことをやって、立派に成長していました。

 

ぼくはその差に驚き、じぶんはだめだと思い、

それに耐えられなくて逃げました。

 

でも目を背けたってぼくが大学生のうちになにもできなかった、しなかったことには変わりありません。

 

春の暖かな日差しがふりそそぎ、あと1週間ほどで桜が満開になり入学式が行われるでしょう。

ぼくは4年前のじぶんに別れを告げ、大学を卒業しました。